幸せな状態になっても不安を感じてしまうのは、日本人独特の気質だと言われています。
地震や台風などという天変地異が多い環境であると同時に、農業が生活の糧だったことに恐らく起因するのでしょう。順調に育ってくれたお米や野菜が、ただ1つの台風にさらわれていく。その悲惨な記憶が脳に刷り込まれれば、豊かに実った農作物を見て不安を感じてしまう、そういう心理なのだと思います。
かぐや姫さんは唄いました。
「若かったあの頃 何も怖く無かった ただあなたの優しさが 怖かった」
なんだか切ない。優しい彼がいてとても幸せ、それで良いはずなのですが。そうでは無いんです。今いるのが山の頂上だとすれば、次に踏み出す一歩は今より少し低い位置にある。あとは黙々と降りていくだけ。そういう感情です。
私も例外では無く、そういう思いが強い人間です。心配性なんですね。20代の頃に強い孤独を経験したことも一つの要因だと感じます。月並みですが、人間関係や仕事に悩んだ時期があったんです。離れていった友人もいました。体調も崩しました。母親に「辛い」って電話したのは唯一あの時期でした。
それでも何とか頑張れたのは幸運だと思いました。それは自分の力だけでは無くて、環境に左右される面もある様にも思います。だから幸運だったんだと振り返えるんです。もしあの時、もう一撃でも何かの刺激を受けていたら、倒れて二度と立ち上がれなかったかもしれません。その一撃が無かったから良かった、そうも言えるのです。
私生活はさて置いても、仕事は何とかぎりぎり頑張れて、少しずつですが目の前の事を覚えていきました。分からない中で仕事を覚える作業は、幾つもの点を集める作業です。木を見て森を見ず、まさにそんな状態が続きました。しかしながら、それでも一生懸命続けていると、ある時、その無数の点が線で繋がっていくんですね。あぁこういうことかぁ、と理解した状態です。そうなった時、不思議と人に頼られるようになりました。これがひとつの転機だった様に感じます。
私生活では、30歳を越えた頃とても偶然の成り行きで今の妻と出会いました。今までは寂しくて死んでしまうんじゃないかと思っていた状況が、上に書いた仕事の話と共に一変するんです。これも運なのでしょうか。この時期から現在までは、途中休憩することなく、本当にあっという間に時間が過ぎて行きました。充実していたと言えるでしょう。
その過程では語りつくせぬいろんな辛いこともあったけど、結果としては、結婚して、子宝にも恵まれた。15年前には想像しなかった風景。目に入れても痛くない息子が2人、元気に暮らしてくれている。かわいくてしょうがない。仕事では転職も悪くはなかった。今も何とか家族を養えるだけの仕事が出来ているし、嫌いな仕事では無い、やりがいを感じる時もある。家族と仕事、不満なんてある訳が無い。
そして思う。あぁ幸せ。
辛かった時期を振り返ると、それは結果的には意味があった様に思える。努力したことも勿論そうだが、「辛かったこと」自体に意味がある。あの頃に比べればと対比が出来るように、自分の暗い歴史の一部となってくれている。今は少し1人になりたいと思うことはあっても、死ぬほど寂しいなんて、微塵も無い。
あぁ、幸せ。
そこで止めておけば良いはずなのに。
私には不安がつきまとう。
あまりにも出来過ぎている。家族4人元気で明るい。離れて暮らす兄弟も元気にしている。親も大きな病気することなく、いつもの生活を続けている。
今が頂上か。
職場にいて仕事の最中にふとこう思う。「子どもが事故に合っていないか」「妻が大きな病気を患ったらどうしよう」「田舎の母親は本当は何か隠していることがあるんじゃないか」急に不安になる。こんなに良い状態が続くはずがないよ。お金は残っているかな。無駄遣いはやめておこうか。
そんな思いで家に帰り着く。テレビに夢中だと「おかえり」も言わない子どもたちを見て「怪我して無くて良かったぁ。今日も元気でいてくれた」と胸をなでおろす。
虎舞竜さんは唄いました。
「何でもない様なことが 幸せだったと思う なんでも無い夜の事 二度とは戻れない夜」
心に沁みます。そう、「いつも通り」ほど、かけがえのないものは無い。心から噛みしめて、感謝しよう。一方、不安と安心は対義語ではあるけれども、それはいつも表裏一体で、その双方が私を悩ませる。
おわり