今回は、危険への感性が鋭い工場勤務経験者が子育てをするとどうなるかの悩みとその対処法を私なりに考えてみたいと思います。
私は前職で工場勤務を10年以上していました。石油関係の危険な液体を取り扱う工場で働いていた為、日々危険と隣り合わせでした。危険と隣り合わせ、と言われてもピンとこない方も多いかもしれません。
オフィス勤務の方にはあまりなじみが無い数字と思いますが、例えば、厚生労働省が公表している平成30年度の労働災害での死者数は909人(これでも過去最低)。さらに労働災害の後に4日間以上出勤が出来ない状態に陥った死傷者数は127,329人にも及びます。単純に365日で割ると、約350人。日本国内で1日に約350人の方が、4日間も出勤できなくなるほどの労働災害に巻き込まれている計算になります。毎日この様な環境で働いている者としては、いつ自分に降りかかってもおかしくないと感じる数字です。
いつも危険と隣り合わせの製造業では、「安全第一」のスローガンのもと、どうしたら怪我をしないかという、安全に対する意識を日々色々な手法で叩き込まれます。どういった安全活動があるかを挙げるとキリがないのですが、一日の流れで例をあげれば、
- ラジオ体操(=腰痛予防など)
- 朝礼の安全スピーチ
- 作業前のKY活動(KY=危険予知)
- 作業開始の上長許可
- 指差呼称
- 安全衛生パトロール
- 夏の熱中症指数の定期記録
- 作業後ミーティング
- ヒヤリハット抽出と対策
- 翌日の作業KYと準備
これ以外にもたくさんの安全に関する活動があるのですが、これを毎日毎日繰り返していくことになります。そして無災害継続の目標日数なんていうのも掲げており(よく工場の正門で見かける)、目標365日に対し、355日目に自分が怪我でもしたら、非常に片身の狭い思いをしてしまう。非国民扱いされている様な気分にもなるのです。実際にこれで責任を感じて会社を辞めようか悩んだ人までいました。本末転倒ですね。
さて、ここまで書きましたが、今回の趣旨は労災を減らそうとかいう壮大な話ではありません。上に書いた様な安全とは何かを体に叩き込まれる製造業で10年以上も働いていると、嫌でも危険への感度が高くなってしまい、日常にも影響が出てくるという話。
日常の風景。例えば、「立て掛けられた板」「グラついてるスロープ」「濡れている床」「4点止めのものが1点外れている」「錆びているもの全般」「木材のささくれ」。恐らく普通の人が気にも留めない不安定なモノが、すごく気になってしまう。職業病と言ってもいいでしょう。
さて、さらに、こういう敏感な人間が、子育てをしたらどうなるか。ご想像の通り、神経が擦り減ってしまうのです。子供が起きてる間は気持ちが休まらない。
家の中を眺めてみましょう。危険な状態には何があるか。「料理中のキッチン」「テーブルの角」「床に放置のビニール袋」「窓の近くの台」「滑りやすい風呂の床」「柔らかい布団」。色々ありますね。
では、危険な行動には何があるか。「追いかけっこ」「テーブル登り」「歯ブラシをくわえてふざける」「お風呂の中のモノを取ろうとする」などなど。
ここで参考ですが、子供の事故に関して消費者庁が発表しているデータを見てみましょう。0歳~14歳までの救急搬送された人数とそれがどの様な事故かの内訳(割合)が示されています。
0~3歳の内では、意外?にも1歳が1番搬送された人数が多いんですね。我が家の息子は、4~14歳のエリアにあいるのですが、「ころぶ」「落ちる」「ぶつかる」が原因のトップ3です。分かるような気がします。走り回ったり、高い所に登ったり、日常茶飯事です。
ついでにもう1つ。その起こった事故がどの程度の危害の重さに繋がるかです。
特記すべきは「おぼれる」でしょう。発生件数は少ないものの一度起こると命に関わる問題となるということです。その意味での第2位は「やけど」であり、食事の時に多く起こる様です。
そして、こういうデータを見てしまうのも、職業病とも言えるかも。
子供にとって、完全に安全な状態など作り得ないのですが、余りにも危険への感度が高すぎて、『怪我=悪』の式が、体に摺りこまれてしまっている。子供はある程度危険なこと経験することで「自分の身を守ること」を覚えていくものだと頭では分かっていても、どうしても先回りをして危険の芽を摘んでしまう、という行動をとってしまうのです。見過ごすことが出来ず「危ないよ」と声を掛けてしまう。そこがポイントというか、悩みなのです。どう考えるべきでしょうか。
自分が子供の時にやっていたコトと同じレベルを自分の子供にはやらせられない。ブランコだって水平になるくらいまで漕いだり、2人乗りするのは当たり前。砂場の砂を投げ合ったり、どれだけ高い所からジャンプできるか競ったり、散々なことをやった経験があります。ちょっと例が悪いですが、こういった子供の好奇心からくる危険な行動を親としては黙って見ていられない。
もしこういう子供の時の挑戦したり怪我したりの経験が、大人になる過程で大きな役割を果たしているとした場合、今子供に押し付けている「アレは危ないからやめて」「コレも危ないからやめて」は、その成長を妨げている様な気がしてなりません。
そしてずっと「危ない」「気を付けて」「やめよう」と制限を掛けられ続けている子供は、やっぱり自由な子に比べると大人しいように思えるし、少し危ない遊びにチャレンジしている子の方がたくましく見え、それが子供のあるべき姿の様にも思えてくる。その一方で、そうはいっても大怪我はさせられないだろうという、ジレンマ。
はたして、正しい線引きはどこなのか?
今の私は、その線引きが、あまりにも手前過ぎる???ジャングルジムのテッペンで、楽しそうな息子。遊具の上にいる子に「危ないよ!」は無いだろう。
敏感過ぎる親が、悪影響を子供に与えてしまわないか?
この点に関して、世の中的にはどう取り扱われているのか少し調べて見たのですが、子供の事故事例やその対策について書かれているものは非常に多いのものの、「危険から学ばせる」という点について書かれているものは、私が探す限りでは見当たりませんでした。それはそうですよね。怪我をして覚えろなんて、その結果どうなるかも分からない事に、無責任なことは言えないわけです。こういうご時世でもありますし。
さて、そうすると自分でなんらかの結論を導くしかない。そうしないと無意味に神経を擦り減らしていくのは、親にとっても良くないだろうと思うからです。悩み考えた結果、ここでの結論として、私は以下の様に考えます。大事なことは3つ。
- 子供が出来る事のレベルを把握してあげる。それが分かっていれば、少し難しいことに挑戦しようとしている時には、見守れる。また、たとえ怪我したとしても、程度が知れている。
- 親が子供の危険に対する知識を持ち、やはり重大な事故につながる可能性があるものは排除するべき。起こりやすい事故は何なのか。そしてその対策は一般的にどう取られているか。これについては、消費者庁のページ(https://www.caa.go.jp/policies/policy/consumer_safety/child/)が参考になりました。こういった知識を持って、大怪我はしない様に、家の中の環境を整える。また、外遊びの際に活用することが大事だと思います。
- そして何が重大かを知ったら、メリハリをつけて指導する。どんな事柄でもいつも同じような小言やトーンで済ませたら、子供も重要度が分からなくなる可能性があります。重要度に応じて、強弱はつけるべきと思います。
皆さんはどの様にお考えでしょうか? 今回は、危険=悪と摺りこまれた工場勤務経験者が子育てをするとどうなるかの悩みとその対処方について、私なりの考えを述べました。
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